まるいものはかわいい

まるいものはかわいいですよね。そんな感じ。

ナポリタンウィルス feat.SoulJa

 

突然ですが、ナポリタンという食べ物をご存知でしょうか?

 

 

そうですね、あの赤い麺ですね。美味しいですよね。

 

私はお店で食べるちゃんとしたナポリタンよりも、母(そこまで料理が上手ではない)の作るナポリタンの方が好きです。

 

母の味、というのでしょうか。あまり美味しすぎないところが美味しい。

 

母の手料理を食べるたびに「あぁ、私は一生高級フレンチの味を知ることなく、知りたいと思うこともなく過ごすんだろうなぁ」と、そう思います。

 

 

んなことよりお前の方は元気かァ?ちゃんと飯食ってるかァ?

 

 

そんなことよりですね、私が今回したいのは「母の味は最高」などという生温いお話ではないんです。

 

実はこの前(もう二か月近くは経つ気がする)とある夢を見まして、その内容が本記事のタイトルにもなっている「ナポリタンウィルス」に関するものだったんですねぇ。

 

 

言いたいことはわかります。

 

 

ナポリタンウィルスってなんだよ。

 

 

と思いますよね。

本記事ではまずそれについて簡単に説明をした後、わちゃわちゃします。

 

 

 

ナポリタンウィルスとは

 

ナポリタンウィルス、こう聞くとおそらく大抵の方は「なにかのほほんとした陽気なウィルス」を想像するのではないでしょうか。

 

 

そのイメージは捨ててください。

 

 

この夢を見た直後の私に笑顔はなく、存在するかもわからない正解を探しさまようお兄さんと化していました。

 

ではウィルスの性質について、簡単に書きます。

 

  • なんか気付いたら感染してる
  • 感染した人間はナポリタンになる
  • ナポリタンになっても自我は失われない
  • ナポリタンになっても(原理はわからないが)移動、会話が可能
  • ナポリタン人間を食べれば自分はナポリタン化しない
  • 一度ナポリタンになった人間が元に戻ることはない
  • 味は悪くない

 

 

ざっくりこんな感じです。いかがでしょうか?

 

このナポリタン化を防ぐ方法」、何やら嫌な予感がプンプンしてきますねぇ。

 

 

「なんか気付いたら感染してる」これが何気に一番恐ろしいことなんですが、それについてはあまり深く考えず「防ぐ方法」に関するお話をしていきます。

 

 

 

食うか食わせるか

 

こう書くと「ナポリタン人間を食べる or ナポリタンになって人に食べさせる」の二者択一のようなニュアンスになってしまってアレですね。

 

もちろん「ナポリタンとして生を全うする」ことも可能です。

 

 

ですが私は思うんです。その選択肢を選ぶ人はあまりいないんじゃないか、と。

 

 

おそらく多くの方には家族、友人、恋人などの「大切な人」がいると思います。

 

「人間に戻ることはできない」「ナポリタン人間を食べれば人間のままでいられる」

この二つの条件が揃っている中、自分がナポリタンになり、「大切な人」はまだ人間。

 

 

 

「ちゃんと飯食ってるかァ?俺を食えYO」

「できません。たとえこの身ナポろうとも、私はあなたのそばにいるね。I'm by your side baby いつでも」

 

 

 

 

こんな青山テルマ feat.SoulJa が頭に浮かびますね。

 

 

みなさんはどうでしょうか。「I'm by your side baby いつでも」を選択できますか?

「ちゃんと飯食ってるかァ?俺を食えYO」と言えますか?

 

私はどうだろうなぁ。

 

「そばにいるね」を選択したい。選択できるような人間でありたい。そうは思います。

 

ですがやはりナポリタンにはなりたくないですし、ナポリタンになるといつ見ず知らずの人間に食い殺されるかわかりません。

 

 

正直、食べたいですよね。人としての生を全うしたいですよね。

 

 ていうか見た目完全にナポリタンだしこの人とのこれからを想像できない。

 

 

 

もちろんSoulJaのいない人生に果たして意味はあるのか、そう思うテルマ(そう思えるSoulJaがいる方、本当に幸せだと思います)もいらっしゃると思います。

 

じゃあ自分がSoulJaだった場合、「ちゃんと飯を食わせられる」のか。

 

ん~~、どうだろうなぁ~。私は悩みます。

 

 

 

ん、待てよ?

そうして悩んだ末に「食べてほしい」と相手が思ってくれた。

 

こんなにも幸せな(食べるのは辛いけれども)ことってあるか?

その気持ちを踏みにじってしまっていいのか?

 

食べないのはそんな相手に対して失礼だし、やっぱちょっと食べたいし、食べちゃう?

いっちゃう?

 

そう思うわけです。

 

 

いや~~~~でもな~~~食べられねぇよ~~~

 

 

そうも思うわけです。

 

 

 

ていうかそもそもなぜ食べるナポリタンが「大切な人」に限定されているんだ?

 

 

見ず知らずのナポリタンならすんなり食べられるのでは?

 

 

 

いや~~~~でもな~~~ん~~~

 

とかなんとか言ってたら自分がナポリタンになったときには見ず知らずの人間にあっさりと食われる気しかしねぇよ~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

ん~~~~~~~~わかんねぇよ~~~~~一体何が正しいんだよ~~~~~~~~疲れてきたよ~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れました

 

疲れました。

 

この夢を見てからというもの、たまに暇なときに思い出してはこんな風に堂々巡りをしてしまいます。

 

あ~~疲れた。お母さんのナポリタンが食べたい。

 

 

では今回はこの辺で。さようなら。

 

 

 

 

 

 

P.S. また今度送るよ 俺からのLetter